2011年04月08日

震災に対する情報と想像力

〜個人的な意見であり、曖昧なこともあるかもしれないためご自身で判断して頂くようお願いする。〜

今回の震災に伴い、各種被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます。


震災の発生から、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。この間の様々な出来事に日本だけでなく世界中の方々がそれぞれの考えを持ち行動されてきた。

被災地近隣の方では住んでいた地を後にした方もいるし、ボランティアとして被災地に向かう方もいる。
知り合いの安全を願い情報拡散した方もいれば、その情報の正確さをまず第一に考え調べ、不確定情報を拡散しないようにした方もいる。
政府に対する意見もそれぞれだし、震災後のストレスの感じ方も人それぞれだろう。


私たちに与えられているそうした行動・意見の基にあるものは「情報」である。そして、その情報は個人個人の「選択肢」となり、その後頭の中で判断されるわけである。



●「情報」と「選択肢」、そして決断する「想像力」
震災後の日本に一番必要なものは「情報」であった。もちろん被災された方に関して言えば物資もそうであるだろうが、そうした被災された方の中でも、情報が欲しいと言っていた方が多かった。情報が欲しい理由は、自分たちの行動の基となる選択肢が与えられないと感じるからに違いない。逃げたほうがいいのかorとどまったほうがいいのか、物資が届く予定があるのかorないのか、そうした判断は「情報」がなければ判断できない。(もちろん、何もない中でリスクヘッジとして判断・行動するのも時として必要であるが、下記の想像力にも関係することで、内容として汲み取っていただければと思う)


政府、東京電力等の毎日行われている各種会見においては、計測データの数値、起こっている状況の確認結果、活動予定の報告の「事実」を主とし、報告されている。また、そうした報告を受け、報道各社の記事や番組では、専門家、解説委員等が公表された事実を基に、それぞれの考えや意見を言っている。


本来「情報」とは、データの数値等「事実」を、分類したり、まとめたり、仮説検証したりした結果を意味する。そういう意味では、報道各社が出すものが「情報」にあたり、会見で提供される多くのものは「情報」とは呼べない。
しかしながら、ここに悩ましい問題が発生する。報道各社が出す「情報」が一致しないのである。これは「事実」を「情報」へと変換する際の判断が、一定の個人に依存していることに起因するわけであるが、情報を求めている方からすると、「選択肢」が増えることとなる。

では、そうした選択肢が広がった場合、どうすればいいのか。


私は、それを判断するのは個人の想像力次第、そしてそう判断したことを受け入れる覚悟が必要と考える。

先日、私が住んでいる町で福島県いわき市から避難されてきた方と出会った。その方は地震直後に政府が発表した原発から3Km圏内の方への避難勧告時に、もっと遠いところに家があったものの、家族を連れてすぐに避難したとおっしゃっていた。確かに当時3Kmで大丈夫か?、アメリカは50マイル(80Km)で設定してるぞ。等の報道がなされていたものの、彼は放射能漏れが確認されたのであれば、より遠くへ逃げることが必要だと判断したわけである。もちろん自分の家があり、その方は兼業農家だということで農地もほったらかしで出てきた。経済的損失を考えれば、大丈夫と思われる情報があるのならと、その情報を基に選択してもおかしくはない。しかし、彼は自分で想像して、判断を下したわけである。話をしている中で、原発批判や政府批判といったものは全くでなかった。ただ残念だったのはせっかく育てた農地がだめになったということだった。
彼も結果的にそう判断しなかったほうが良かったかもしれないと思う時がくるかもしれない。しかし、それは自分の想像力の欠如、自分の判断ミスであり、きっと彼自身が後から消化できるものだと思う。


●支援する立場として
震災後からの約1ヶ月間、話題の中心はずっとこの震災のことが中心だった。知っている中にも新聞やテレビ、インターネット等でデータを集め意見を言う人、ボランティアに行った人、今できることとして目の前で寄付する人がいて、震災直後は思っている以上に人々が温かい心をもっていたんだなと思っていた。しかしながら、震災直後の意識から比べると、最近ではその意識が徐々に弱まっている印象を受ける。もちろん被災地にいない人にもあらゆる面でストレスはかかっていると思うのだが、被災した人から比べるとずいぶんマシなんじゃないかと感じる。

最近では世間の自粛ムードに伴い、「それでは元気が出ない」という人まで出てきている。こうした人たちが、どういう理由でそのような言葉を発しているのかはわからないが、何人かから聞いた話では、「自粛しないでお金を使うようにすれば、経済的効果もあって・・・」「自分たちが元気でいないと、被災した人へ元気をわけれない」といった内容だった。そこへきて、東京では桜もきれいに咲き始め、お花見の自粛ムード。。。(私としては、やりたい人はやればいいと思うし、どうせやるなら被災地産の食材等を購入して、じゃんじゃん被災地へお金が動くような経済活動を行って欲しいと思う。そして元気を確実に被災地にわけてあげて欲しい。花見の分、自粛して寄付しようという方もとてもすばらしいと思う。寄付までいかなくとも、被災地の方の気持ちを想像して、花見をしなくても特に自分に影響ないだろうからやめておこうと自粛する方もとてもすばらしいと思う。想像力を働かせないで、世間が自粛ムードだからと不満を持たないように願う。結果を自分で消化できるよう、自分で判断して欲しい。)

震災直後は積極的に自粛していた。しかし、今は自粛に対する是非が問われたりしている。これが復興に向けた積極的な議論である場合は歓迎されるものであるが、なんとなくイベントに行きたい、お花見がしたいなどの直感的な快楽を求めた理由として諸々の意見を持ち出している印象を受けている。


また、計画停電実施後、東京電力に対し不満を言う方が多かった。その人たちの不満は、「計画停電が実施されるかどうかわからない」という部分に固執していたように思える。実際に計画停電になった方からの不満といえばもちろん平等ではないという話もあったが、大部分は前述の通りと把握している。

この不満に対しての私の考えとしては、計画停電は予定通りに実施すべきだったということである。
なぜ毎日ギリギリまで東京電力の方々が停電回避を避けようとしてたのか。それは対象地域の人たちの生活になるべく影響を与えないようにとの配慮であったのだろうと私は想像する。そして、その結果としてギリギリまで決断を先延ばし、何とか実施しない日もあったのだろうと。
そう考えると、実施されなくて良かったと思えるし、実施になっても仕方ないと思える。当時は被災されていた方たちは燃料も少ない上、氷点下を記録している中で生活をしていたのだから、被災者の方の気持ちを考えれば、2、3時間の計画停電で受ける我々の影響など、軽微なものだろう。もちろん医療機関等で必要な機器を動かさなければならない状況だってあるだろうが、それは元の計画通り停電になることを想定して動くことで、対処はうてる。ただ不確定であることに対して不満を言う人間が多く、それに対処する時間を東京電力が取られてしまうのであれば、停電してしまえと思うのである。

また、この間東京電力への抗議等の電話をかける人たちが多かったとの情報もある。結論から言わせていただければ、限られた資源の中で対応している東京電力にとって、そうした電話応対へ資源をとられることは、各種対応にも遅れにつながる。であれば、単純に電話をかけるのではなく、自分が東京電力にぶつけたい意見をまとめ、署名を募って、多くの人が自分の意見に賛同しているから検討して欲しいと1回のコンタクトで解決を図ったほうが、東京電力、ひいては被災地の方のためになると想像する。


自分がとる行動がどこまで被災された方々のためになるのか、どういった支援につながるか、悪影響を与えることもあるのではないか、支援する側としてもそういったことを考えて行動しなければならない。



今回こうした考えをアップしようと思ったのは、自己満足と取られるかもしれないが、やはりこうした考えを持って行動していただける人を1人でも多く増やしたほうが、被災者のためになるのではと考えたからである。「何言ってんだ?」と思われても「自分の意見とは違う」と思われても、個人の意見という点では仕方がないことであろうとも思うが、大部分は違うが一部は理解できるなど、全面的に否定の立場でない方に一人でも多く理解していただければ、被災者のためになると信じているからである。
基本的には考え方への意見であるため、以下に各種報道等を受け、それぞれこんな行動してみてはどうか、こんな考えでどうかという具体的な例も挙げておく。想像して判断した結果の個人の意見として、参考にしていただけたらと思う(随時アップ予定)。


・マスコミの報道に対して
 不適切な表現を報道してしまったり、意味のない質問をしている記者を目にした場合、本当にそれに対する不満が大きければ、今後その番組や新聞、雑誌等を見なければいいと思う。フリーの方は別にして、各種報道は基本的に会社組織で作られ会社の意見や行動として、そうした不満を感じさせることにつながっているわけだから、許せないなら個人攻撃をするのではなく、会社毎無視してしまえばよいと思う。好きな芸能人が見れないから、好きな解説員の意見が聞けなくなるという理由で悩んでる場合、会社が潰れてしまえば、きっと他の会社で見れるようになるから、問題ないと思う。

・政府に対して
 これまで自分たちが選んだ国会議員を元に(比例区ではそうなっていないが)、与党ができ政府ができている。公約実現不可能だからとか対応が悪いからという点に注目するのではなく選んだ自分たちもその責任を感じ、もっともっと政治に興味を持ってみてはどうだろう。よく飲み屋では仕事と政治の話はするなといわれるが、本当に政治に対して興味がある人は、どこでも政治の話をして、考えを広めるようにしたほうが良いと思う。

・原発に対して
 現在の電気料金が原発によって廉価に落ち着いていることを忘れず、原発反対と唱える人は電気料金が上がったとしても不満を決して言わず支払って欲しい。なお、電気料金は自宅だけに関わることではなく、商品の生産過程にも反映されるため、会社の業績に影響を与え、物価が高くなる可能性も考慮に入れたい。


posted by betterman at 20:49 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

ちょっとした、ドキドキがほしいな
http://em7gc5d.love.chu-g.net/
Posted by 夏だからね at 2011年07月31日 16:40
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